安倍元総理が亡くなった事をきっかけに、ある宗教団体について、政治家との関係や、宗教2世、献金トラブルなど、様々な問題に目が向けられるようになりました。
その中でも私が特に気になったのは、献金問題です。
そう思って新約聖書をひらいてみると、ありましたありました。
題して「やもめの献金」。
イエズスさまのお弟子さんのうち、マルコさんとルカさんが書き記しています。φ(.. )
それはどういった内容かと言うと……、
するとそこへ貧しい1人のやもめがやってきて、非常に少ない額の献金をしていきました。
その様子をみていたイエズスさまは、こう仰せになりました。
「あのやもめはだれよりも多く献金した。他のものは有り余る中から献金したが、あのやもめは少ない中から、その持っているすべて献金をしたからだ。」“
…みたいな内容です。
でもこれって、いま私たちの社会で問題になっている、「信者が家族を不幸にしてまで多額の献金をする必要があるのか?」
…と、言う問題とは別のはなしかなぁって感じです( ˘•ω•˘ )
このはなしでは、額の多い少ないではなく、自分が持ってるものの中からどれだけ多くを献金したかが問われています。
解釈によっては、
「自分はどれだけ貧しくとも、持てるもの全てを献金するのが立派な事だ!」
に、なっちゃうと思うのです。
もうこれ悪用されるでしょ…💦
でも、ちょっと待って!✋( ¯•ω•¯ )
新約聖書の他の箇所を読んでみると、
「永遠の命を受け継ぐためには何をすればよいか?」」と、たずねてきた若者に対してイエズスさまは、
「持っているものをことごとく売り、貧しい人たちに施してから私について来なさい。」
…てな感じの事を言っています。
私に財産を寄こせとも献金しろとも言っていません。
ここがいまの献金問題とは大きく違うところかなと思います。
聖書の中でのイエズスさまは、ヒッピーのような生活をしながら布教活動をしていて、
立派な神殿に住んでいる訳でも、きらびやかな服装をしている訳でもありません。
食べるためのパンは自分で自由自在に増やせるし、
病人をあちこちで治してまくっているくらいだから、怪我や病気の心配もありません。
そもそもイエズスさまは、献金などを必要としない、私たちとは全く異なる存在です。
いま問題になっている宗教団体の教祖と比べるのは間違いなのかもしれません。
…て事は、新約聖書は献金問題を解決するための役には立たないのでしょうか…
(´・ω・`)
いえいえそんな事はないと思います。
新約聖書は読んでいてなかなか興味深く奥が深いものです。
しっかり読み込んでいれば、多額の献金を必要とするような教義はおかしいと、最初の時点で気づくのではないかと、私は思いました。