Mayのブログ

読んだ本についての感想など。

晩鐘 上・下  佐藤愛子

令和8年 5月15日
作家の佐藤愛子先生が亡くなったという報道がありました

102歳

大正、昭和、平成、令和を生き、多くの作品を世に残された事、波瀾万丈の人生を生きた事を本当にすごいなあと思いました

そんな先生の小説「晩鐘」は、
先生の2番目の元夫との生活をベースに描かれた小説です

元夫は「畑中辰彦」、佐藤先生は「藤田杉」、娘さんは「多恵」となっているようです

「血脈」は佐藤家の人々の生き様を描いた小説ですが、「晩鐘」は、「血脈」のスピンオフ小説でもあるように私には思えました

「血脈」の下巻で、愛子が母親と喧嘩をして家出したと語っていましたが、「晩鐘」ではそこの部分が詳しく描かれています

私にとってはなるほどと思える興味深い内容でした

やがて藤田杉と辰彦は結婚し、辰彦は度重なる失敗によって大きな借金を抱える事になります

妻に借金を肩代わりさせて自分は逃げ回る夫なんて…

と、なるわけです


ですがこうして小説として読まされると、辰彦の不思議な魅力、人柄、その人柄が出来上がるまでの半生、運命、地味に壮絶なその人生について深く考えさせられます

さらに藤田杉の長い長い付き合いの同人誌仲間との別れの場面では、老いの孤独について考えさせられたりします

そんなんで私は、そのへんの道で見かけるじいさんにも波瀾万丈の人生があったりするのかなあ…なんて思うようになってしまいました

それともう一つ、私にはこの小説は「昭和史」のようにも感じられました

とくにそんな描写は無いのですが、なぜかそこに描かれている風景やファッション、人間模様が昭和を彷彿とさせるのです

まあほぼ昭和の時代の話ですし…

昭和って長いですから…


物語の最後のほうで、辰彦が藤田家に遊びに来て、杉、多恵、辰彦の3人で、多恵の作った鍋焼きうどんを食べる場面があります

いろいろ大変な事があったけど、3人共通の思い出は変わらなく、時が経ってその思い出話に花を咲かせながら鍋焼きうどんをつつく…心がなごむ場面です

3人にこういう機会があって本当に良かったなあと…

よく分からないけど、こういう事が生き続けるという事なのかなあと思いました

ところで最後、辰彦の仕事仲間の桑田がどうなってしまったのか気になりました

とんだ詐欺師でしたが、憎めないところがあり、約束には律儀な人だったみたいで、
それを藤田は、「詐欺師というものの不可欠条件なのかもしれない」と、面白く思っていたようです

私はなるほどなあと思いました

善人も悪人も関係なく、みんな同じに人生の終わりを迎える
そもそも善人とか悪人とか何がどう違うんだろう?とか考えました

「晩鐘」は、一気読みのようなものでもなく、なんの教訓もなく、ただただ人間を描いただけの小説だと思うけど、なんかしみじみ良いなあと思いました

なんかちょっと映画みたいな……

めぐらし屋 堀江敏幸

主人公の女性が、亡くなった父親の部屋でノートを見つける場面から物語ははじまります

娘の絵が貼ってあったり、記事の切り抜きが貼ってあったり、
メモのような覚え書きが書いてあったりする父親のノートは、娘から見ても内容のつかめないものでした……

…と、いった具合に話は進みますが、正直、私にはとくに先が気になるような展開ではありません

でもなぜか読んでいる間中、おだかやな空気に包まれてるような、心地よさを感じます

そして、主人公の女性の記憶の中の父親が、私の亡くなった父と重なったりもして、

当時住んでた自宅アパートに、父が会社の車で乗りつけた光景が浮かんだり、

その父の勤めていた会社が倒産して自営業を余儀なくされた(のかも?)事なども思い出したりしました

父には父の人生があって、この女性の父親のように、自分のやり方のようなものもあったのかな?と、思ったり、

うちにも立派な百科事典があって、
あれもうとっくに見かけなくなったけど、いつ処分したんだろう?とか思ったりもしました

この小説には、人生の役に立たないような、頭のすみっこにある細かい記憶が思い起こされるような魔法でもかけられてるのでしょうか?

主人公の女性は、みんなとちょっとズレてるところがあるようだけれど、それを今日の天気のように受け止めているところがあり、

ズレてるところがあるのは私も…と、思ったけど、みんなも…なのかも?と、思いました

たびたび体調を崩す主人公に「冷えにはコーヒーや紅茶ではなく、ミルクやココアですよ」と、耳打ちしたくなりました

そんな主人公の小説のタイトルが「めぐらし屋」って、何か意味があるのかな?

ちょっとヘンなたとえだけど、小説全体の空気感が漫画の「夏目友人帳」やアニメの「葬送のフリーレン」っぽいなあと思いました

「独女日記」①②③ 藤堂志津子

作家の藤堂志津子さんと、その愛犬であるヨークシャーテリアの女の子との日常を綴った

ゆるゆると過ぎてゆく日常が心地よい、永遠に読み続けられるエッセイです📕✨
 
藤堂志津子さんの小説は、ちょっとシニカルであったり軽いホームドラマのようであったり怖い内容のものであったり主人公が自分を悪いほうに客観視したり…いろいろあるけれど、余計な力が入っていなくて、どこか淡々としているところがあって、そんな感じがいいなあと思っていました

その小説の数々が、このエッセイによって実はめちゃくちゃ時間をかけて執筆されていた事を知って驚きました

また、読んだ本について、「自分は正しく理解できていないかも…」のような気持ちを持たれる謙虚さや、愛犬「はな」ちゃんに対して、ああでもないこうでもないと考えながら丁寧に接しているところなど、私も見習いたいなと思いました

エッセイには昔読んだ本を再読された事なども書かれていて、私もそれを今ちょっと真似しています、と、いうか…

これまで本を再読する事があまりなかったので、ちょっとしばらくは新しい本を買わずに手持ちの本を再読して過ごしたいなあという気持ちにさせられたのです

それにしても普段からたくさんの本を読まれているんだなあと思いました


「はな」ちゃんとのだっこ散歩が、私のミイちゃんとの庭さんぽに重なり、猫も犬も似たり寄ったりだなあと思ったり…(とはいえ、「はな」ちゃんは「猫犬」のようですが)

藤堂さんと「はな」ちゃんがテレパシーのように心が通じ合っているところをスゴいと思ったりしました


ちょっと図々しいのですが、私は藤堂さんと性格が似ていると、ずっと前から思っていて…、

例えばですが、ちょっと淡々としているところややるべき事の前には自分は二の次になるところ…みたいなのがちょっと似てるかもなあとか…、
いやもうホント、図々しくて恥ずかしい!(>人<;)

でも、エッセイを読みながらひとつひとつを具体的に考えていくと、やっぱり全然似てないかもと思えたり…

なんか不思議で

そういう不思議の解明や、ただ単に物語の世界に没頭したいという要求から、藤堂志津子さんの本もっと読みたいなあと思いました

とくに、タイトルについてのエピソードがエッセイに書かれていた「あの日、あなたは」が
 

 

「ハッピー・バースディ」   新井素子

ここ最近、
新井素子さんの本を立て続けに読んでいる

……絶句」や星へ行く船シリーズなどは、中学生の頃の私が大好きだった本たちだ

読んだ本で人の感性は形成されていくのかもしれないと思うと、多感な時期に新井素子さんの本に出会えて本当に良かったと思う

そんな中、そういや読んでいなかったなあと思われた「くますけと一緒に」を読んだ

読んだ覚えはないはずなのに、あとがきは読んだ覚えがあった…🤔

…あとがきだけは読んだ事がある…?

なんかホラー😨

いや本の内容もホラーっぽいのだけど、それはそれほどでもなく、読んだ本の内容をまるっと忘れてしまう自分にホラーを感じた

脳の機能に問題がありそうでマズイのでは?と

これまでは、読んだ本の内容を忘れていた事はあっても、読み進むうちに「あ、コレ昔読んだ事あるわ」ってなってたのに、

まるっと忘れるとは…

どうか、あとがきだけを図書館か書店で読んだとかであってくれと思う


前置きがかなり長くなってしまった
すみません🙇‍♀️


今回は「ハッピー・パースディ」の感想を書こうと思っていたのだった💦

多分…、これも初めて読む本だと思うのだけど、なにげに既視感が漂っていて不安…

これはちょっと、読んだ感想を言うだけでネタバレの可能性がある本なのでそこに注意が必要かなと思われた

冒頭、全身でハッピーを表している主人公がちょっと不自然で、本当のところ、ストーリー全体は全然ハッピーではなく、心理的に追いつめられていく主人公にヒヤヒヤさせられる内容だった

「いい気になるなよ」という言葉に追いつめられていく主人公

そこまで過激でも暴力的でもないこんな言葉に追いつめられていく不思議…

その不思議を、登場人物の心情等を丁寧に描く事で、読者にも共感を与えていると思われた

そして、主人公の夫が妻に対して言った「文章を書くことに淫している」という言葉
この言葉はこの物語のキーワードにも思えた
あの場面で出てきた時には涙を誘ったし、世界が開けたように思えてスゴい✨と思った

じわる恐怖に余韻が残る、なかなか読み応えのある小説だった

「人類はどこで間違えたのか」  中村佳子

タイトルがなんかちょっと怒られるてるような感じもするけど、そんな身構えるような内容ではないです

生命誕生の40億年の歴史を振り返り、現代科学で分かった事と合わせて、人類がこれからどのように生きていくのがベストかを考えていこうみたいな内容だと思います

この本を読みながら私はずっと、縄文時代の人々の暮らしぶりを想像しながらワクワクしていました

縄文時代は、家族を単位とした、それがいくつか集まった集団で暮らしていたそうです
そして、植物やその種子を採取したり、小動物などを狩って食糧としながら、みな対等の立場で公平に分配して暮らしていたようです

縄文時代の人々も現代人と変わらず、美味しいものをワイワイしながら仲間と一緒に食べたり、そうやって助け合いながら暮らしていたのだなあと思うとほのぼのします

食べる事は、今も昔も人々にとって1番大切な事で、楽しい事でもあるんだろうなと思います

それが狩猟採取時代の様子で、そこから農耕社会に発展します

これが大量生産、支配のはじまりという考え方があるそうです

ここに私は驚かされました
でも、言われてみればそうだなあ…

それに、農耕社会って食糧の安定確保につながる良い進歩のように思えたけど、歴史を振り返ると飢饉で大勢の人が亡くなったりしているし、必ずしも良い事ばかりではなかったようです

とはいえ農耕社会がダメと言っている訳ではなく、やり方、考え方を変えていかなければ、という事でしょう

そこで「『私たち生きもの』の中の私」という考え方です

この本の著者である中村佳子さんが提唱する「生命誌」による考え方なのですが、

生きものについて考える時、他の生き物に対して私たちは上から目線でみていませんか?という問いかけです
そして、そうではなく、わたしも生きものの中にいるんだという当事者意識を持とうという考えです

私などは本書を読みながら、どうも歴史を俯瞰しているような感覚になってしまい、まだまだ「『私たち生きもの』の中の私」になりきれていないなあ…と、反省しています

で、農耕社会に話は戻りますが、ここから支配、大量生産、階級社会などが生まれたみたいです

それがどんどん機械化の考えにつながり、「人間の家畜化」なんて言葉が出てきたりして、ちょっとギョッとさせられてしまいます

でも本書は全然そんな過激な内容ではありません

あくまでいきものを中心にした考え方なので、政治色は一切なく、ちょっと過激な言葉があったとしても、いきものを語るうえでの事実のみという印象です

またまた話は農耕社会に戻りますが、農耕には土が重要な役割を果たします
さらに土は作物を育てるだけでなく、土木建築にも使われます

SDGsでは「脱炭素」が叫ばれていますが、土の中に上手に炭素を送り込み生かす事が作物を育てたり土木建築を行う上で、とても大切なのだと考えさせられます

そのへんで「土の呼吸」と言う言葉が出てきたりして「鬼滅の刃」みたい…などとついふざけた事を考えてしまう自分を駄目だなあと反省したりしていました


そのほか、農耕以外の自然、動物との関わりについても考えさせられる事が多くありました

古代から人間は犬と暮らしてきたようですが、それは家畜ではなく、狩の友であり家族としての関係みたいです

犬は社会性がある動物なので、人間と暮らすのに適していたと考えられますが、これに関する実験をわたしも興味深く思いました

その実験とは、単独行動をするキツネが、何世代にも渡って人間に関わる事で起こる変化を観察したものです

人間も生きものではあるけれど、他の生きものを支配する力を持ってしまいました

それなのに宮沢賢治の童話のように動物と話す事はできません

人間と動物との難しい関係を考えると胸が痛むこともあります

本当は、この本にはもっといろいろなこと…ウィルスやゲノム、ホモ・サピエンスについて、言語や芸術、チャットG PTなどなどについても書いてあったのですが、私の力では上手くまとめる事ができません💦

それに正しく理解できているのかも心許無いです…😓

でも難しい内容ではなく、とても興味深く、地球や生きものといった大きなものに思いを馳せ、視野が広くなりました

そしてこれからもなんでも分かった気にならず、謙虚に、これからの世代のためになるような、生きもの一員としてできる事を、私にできるのは小さな事だけども実践していけたらいいなと思うようになりました

「地図と拳」 小川哲

ざっくりすぎる説明だけど、1899〜1955年の満州の、架空の都市にまつわる物語です

架空の都市とは、小説上の創作という意味で、例えていうなら「ベルサイユのばら」のオスカルが架空の人物であったように、そういう存在を都市にしてみました…みたいな
いや違うか、例えとしてもちょっとヘンだし…


言いたいのは、「仙桃城」(シェントウチュン)という架空の都市が、私にはまるで主人公のように感じられたという事です

最初は「李家鎮」(リージヤジエン)と呼ばれていた小さな集落だったのが、日本人に「仙桃城」と名づけられ、都市計画が進められ、

「李家鎮」から「仙桃城」へ…、都市計画から争いの場になり……

そのような変化に人間と共通するものを感じ、私の中で擬人化が起こってしまったのかもしれません

ただその「仙桃城」の都市計画は実現しません

小説の中でも架空の都市だった訳です

この都市計画に関わった日本人は、ここを『虹色の都市』にするつもりでした

虹色とはそこに住む人間を7つの色に例えた考え方です
満州民族漢民族、日本人、ロシア人、朝鮮人、モンゴル人…これで6色ですが、最後の1色は大事な事だと思うので、申し訳ありませんがここでは書かないでおこうと思います

でも私は、この最後の1色こそ、この都市計画になくてはならない存在だと思いました

争いは建築物を破壊し、人々の命を奪い、そこで暮らしている人々の人生まで変えてしまいます
 
常々私はフィクションを現実と重ねて考えるのはナンセンスだと思っているのですが、ここで描かれている言論統制で、コロナ禍の閉塞感を思い出させられました

また、中国のような広大な土地を統治するのは、人類がもっと成長しないと無理なんじゃないかと思ったり、

こんなふうに、暮らしていた土地が争いによって破壊されてしまうのなら、郷土愛なんて虚しさしか覚えないだろうなと思いました

人間が人間に対して行う暴力は、結局ぜんぶ自分に返ってくるような気がします

「信じなさい」って頑張っていたロシアの神父さんがいたけど、ああいう人は現実ではあっさり敵にやられてしまうんだろうなと思います

だけど、もしかしたら運が良くて生き残るかもしれないし、

この神父さんが言っていた、"何かをしなければならないわけでもなく、全てを失ってもただ生きる”のは、素朴でいて難しそうだなと思いました

物語の後半、地味にずっと残っていた地図の謎の答えらしきものが分かったり、争いの象徴のようなものが捨てられたり…そんなところが粋だと思いました

タイトルの「地図と拳」とはそういう事なのかなとか、この長い物語を読み終えてしみじみ思ったりしました

「自分はバカかもしれないと思ったときに読む本」   竹内薫

自分はバカかもしれないと思ったときに……

う〜ん…

実はこの本、読んでみて最初から最後までしっくりこなかったんです…

面白くない訳じゃない、
硬い頭を柔らかくする問題などは楽しく
とても読みやすく
読んでみて気づきもあり共感もある

…でも何か根本的な違和感があったんですよね


それって一体…

考えてみました

この本の内容のベースになっているのは、作者さん自身の苦い体験をだと思います  

作者さん自身が苦労したからこそ、読者に対してバカを拗らせないための、エールを贈るような内容になっているのだと思います

そこに私の違和感があった
何か…


読み終えてハッとしたのだけど、
私は普段、障害のある人について考える事が多いのです

それがこの違和感の原因ではないかと思いました

作者さんは障害のある人については意識されていないのではないかと思いました

でも、作者さんは全然悪くないです

本の内容も良かったし、読者に対する心遣いも感じられました

この本は、障害のない方が対象である事が前提で、

障害のある方についてはまた、作者さんは別の考えを持たれているのではないかと思います

なので、私が感じた違和感は、私個人の問題なのです

ただちょっと、この本を違和感なく楽しめる事ができなくて、残念な気持ちがしました

追伸…
障害のある方がバカだと言ってるわけでも思ってるわけでもありません💦
本の内容も全然そんなんではありません💦
バカって言葉は目にするだけでもなかなかキツい言葉だなあと思いました💦