作者である曽野綾子先生は、過去に日本財団やJOMASという組織に所属しており、途上国の貧困層を支援する活動をされていました。
この本は、その活動を通じて訪れた、アフリカやブラジルの貧困層の事が書かれていて、私の想像すらしなかった思想や環境が存在することに、ただただ驚くばかりでした。
その日食べるものがない、子供に父親がいない、家の屋根が半分しかない、服を洗濯するための石鹸がない……
日本でもこのような貧困に陥っている人はいるかもしれません。
違いは、貧困が村全体に及んでいるところと、福祉がほとんど機能していないところだと思います。
エイズを発症して亡くなる人や餓死する人も多く、横領、窃盗は当たり前。
寄付をしたところで本当に困っている人には絶対に届きません。
政府に寄付をしても、困窮者にたどり着くまでの過程でどこかに消えてしまうのだそうです。
そんな事が、このグローバルな現代で見過ごされるはずがない、などと私なんかは思います。
そこで、これがいつ頃の話か言うと…、
いくつかの記事の最後に記された日付と、曽野綾子さんが支援活動をされていた時期を考え合わせると、1990年くらいから、2005年くらいの出来事がほとんどかなと思われます。
私なんかは、「つい最近じゃん!」って、思うけど、
考え方は人それぞれなので、「なんだ昔の話じゃない」と、思う方も多いかもしれません。
それよりも、貧困が現在は改善されているのかが大切なのだと思いますが…
どうでしょう……?
そのほかに、貧困とは少し関係ないところで個人的に印象的だった記述もありました。
例えば、聖書には、
「…下着をとろうとするものには上着をもとらせなさい」
という記述があります。
これ、私にはずっと、うっすらとした疑問だったんです。
普通逆でしょと。
脱ぐ時は上着からで、後から下着なのだから…と。
実は、これは脱ぐ順番とかの問題ではなく金銭的な価値の問題で、
当時の庶民は貧しくても下着のかえはあり、上着の方が高価だから、高価なものでも惜しまずに泥棒に与えなさいという意味らしいのです。
思わぬところでうっすら疑問に思っていた事が解消できて良かった😊
あとは、日本の農家から米や農作物がごっそり盗まれるのは、貧しい国から輸入された窃盗だと思う…だとか…
いろいろなところから怒られないかな…と、心配になる記述もありました。
一方で、支援団体として多額のお金を寄付したあとも、監査のために度々アフリカを訪れていたという事に、先生の誠実なお人柄を感じたり…、
まあ、そんなこんなでいろいろなことを思いました。
けど、強く思った事と言えば、
貧困は本当に良くない。
どんな人も貧困に陥ったら心が荒んでしまうものだ。
と、いうことです。
そして、貧困には教育で対抗するのが堅実な道なのかなとも思うけど、貧困が理由で教育が受けられないという現実もあり、「鶏が先か卵が先か」みたいな問題になってる〜💦
と、困ったり…
けどその結果、やはり教育はとても大事で、読み書きができるだけでもその人の人生は大きく変わるのだと思いました。
なので、どんだけ貧しくても教育だけは受けるべき!
というのが、1番最後に残った強い思いということになりました。