この物語の舞台は1590年のオーストリア、人々のおおらかな暮らしぶりや、牧歌的な美しい風景描写の記述から始まります。
ところが物語を読み進めていくうちに、そんなあまっちょろい物語ではない事を思い知らされていくのです。
ある日、主人公とその友人達の前に、自らをサタンと名乗る美しく魅力的な少年が現れます。
時間も空間も自由に操ることができて、なんでもできる不思議な少年です。
ところがこの少年は、人間に何の関心もなく、主人公やその友人達以外の人間にはとても辛辣なのです。
人間の振りかざす「良心」が醜いとまで言います。
確かにこの時代の人々は、悪事を働いた人間に対してはとても冷淡だと私も思いました。
魔女裁判や、罪人には拷問をしていた時代です。
なので私もサタンの言う事も一理あるなあと、思ったのです。
けれども私も人間です。
心ならずも醜い行動をとってしまう可能性はあるのです。
そう考えるとサタンの言葉は自分に向けられたような気になり、心に刺さります。
人間である自分が悲しく思えてくるのです。
いっそ犬になりたいと…。
何故なら、この物語には心の美しい犬がでてくるからです。
飼い主に酷い目にあわされても、それでも飼い主を慕う犬…。
この犬は良心なんて知りません。
けれども人間より美しい心を持っているのです。不思議です。
美しい心を持つ人間もいないわけではありません。
善良な神父さんもいます。
けれども泥棒の容疑で裁判にかけられたりなど、この本の中では踏んだり蹴ったりの目に合っています。
この物語では、占星術師や偽善的な神父、気の毒な人間やお金持ち、いろいろな人間が登場します。
そしてそれらの人々に対するサタンの行う行為や言動は厳しいものでした。
その厳しさのあまり、正直、私の頭の中にストーリーが入ってこないという事が起こったほどです。
美しい風景描写から始まる物語なのに、こんな、人間について深く考えさせられる物語だったなんて…と、びっくりさせられる内容の本でした。