Mayのブログ

読んだ本についての感想など。

「ブレンダと呼ばれた少年」ジョン•コラピント

読む前から大体の内容が分かっていた本ですが、実際に読んでみると受ける衝撃は想像以上のものでした


8か月で受けた包皮切除手術の失敗により、その後14歳まで女の子として育てられた男性の実話です


彼の経験した事は、多くの人達が抱えている苦悩や社会問題にも関係していて、それを彼が1人で背負い込んだようにも思えました

それはどういうことかと言うと、彼は女の子としては扱われる事に対して、はっきり「NO!」を突きつけています

にも関わらず、「性別は環境で変えられる」との自論を持つ性科学者によって、両親が彼を女の子として育てる事が最善の道だと信じて突き進んでしまうのです 

この男性のケースに限らず、

権威ある人間に反論する事はできない、反論したところで揉み消されてしまう、権威に対する気後れなどから間違いを正す事ができずにいる…、そしてそれが状況を悪化させてしまうという問題は、社会のあちこちで見かけるものではないでしょうか?

そのほか気になった事と言えば、彼がたびたびいじめられたり、友達ができなかったり、偽りの自分を演じていた事です

これは…、
もしかしたら…、いわゆるカミングアウトをしていたら、こうまで酷い事にはならなかったように思えるのです


とはいえ、本人ですら真実を知らなかったので、そんな事はできる訳がなかったとも言えるのですが…

もしも彼がもう少し早く真実を知らされて、カミングアウトする事ができていれば……

他の様々な問題に頭を悩ませる事はあったとしても、そこまでいじめられないだろうし、自分を偽らなくてすんだのでは…と、想像します

そして一番気になったのが、

本書の中で彼が語っていた、
「…ペニスを失うと、お前はもう人間じゃないってことになるらしい。…」と、いう部分です

こんな考え、まるっきり健康で、なおかつ障害とは無縁の人にとっては「そんな大げさな…」
って思える事かも知れません  

けれどもそうじゃない人にとっては……
無意識のうちに心に潜んでいる、どす黒いどうやっても落ちないシミのようなものなのです

私も共感する部分のある言葉です


この本を読んで思った事のまとめとしては、

子どもはのびのび育てるのが一番だと思うし、変に性的な事を押し付けるものではないという事

男性だとか女性だとかの前に、その子の心のうちをよく考える事が大切だと、そのように感じました

子どもはいずれ咲く蕾のような存在で、まわりの人が、男性か女性か、早くどちらかの花を咲かせろ!と、急かすものでもないのかもしれません

最近はジェンダーについて考えさせられる事も多いですが、それがなぜか政治と関係しているのかもしれなくて…
どういう訳か複雑な問題にもなっているように思えます

どんな人に対しても思いやりの心を持つという、単純な事を忘れないでいられれば、大きく間違わないような気もするのですが…

本の後半に書いてあるデイビッドの言葉には、多くの辛い経験をしてきた人特有の素晴らしい人間性が感じられます


このような悲劇が繰り返される事のないように、私たちひとりひとりがしっかりしなくてはいけないのだなと強く思いました

「忘れられた巨人」 カズオ・イシグロ

世界史が苦手だったので、アーサー王と言われても「聞いた事あるなあ」ぐらいで、ガウェイン卿に至っては「誰?!」という感じだった

なのでどういうスタンスで読むのが正解なのか悩む作品ではあったけど、史実そのものが曖昧な事によって、ある程度の方向性が決まり、

さらに解説で作者が「たんなるファンタジーではない」と語ったという事が書かれてあるのを読んで、やはりという確信のようなものを得て読む事ができた

この作品には現代人でも克服できていない問題が描かれていると思う
シビアな現実をファンタジーふうにコーティングしているような不思議な作品に思える

「わたしを離さないで」も悲惨な現実を穏やかな印象に変えている作品に思えたので、これは作者の持ち味なのかも

「わたしを離さないで」も素晴らしい小説だったけど「忘れられた巨人」の方が私の好みには合っていると思った

本当にすごいと思う✨


主人公である老夫婦は、本当に愛しあっているのかなあ?…と、いうのが私の率直な疑問だった

何となくだけど、私はラストを悲観的に考えている

これ、多くの人は……、
もしかしたら作者自身も、この作品は老夫婦の長い長いラブストーリーを描いたものとしているのかもしれない

けど私はなんとなくそんな甘いものではないと思ってしまう

老夫婦はお互いを労りあっているだけなのでは?…と

そうすると、そもそも愛って何だろう?と思ってしまうのだけれど……

人間は過去の出来事を克服できず争ってばかりいるけれど、こんなに古い時代に生きた人も同じだったのかもなあと思えて感慨い

この老夫婦は人類全体の縮図なのでは?
とまで考えたりする

「正義と復讐」は、なかなか印象に残る言葉だった

ウィスタン戦士とガウェイン卿の戦いも印象的だった

死を覚悟し、相手の弱点をつかない奥深い戦い方で、これが騎士道ってやつかと感銘を受けた

#読了
#忘れられた巨人

「ハンニバル ライジング」 トマス・ハリス

最近、図書館通いが続いています。

そんな、本を選びたい放題の環境の中で私が選んだのが、この本「ハンニバル ライジング」です📕✨

この本が新刊として売られていた頃、私は前作の「ハンニバル」を読んで、思うところがあり、買わずに保留のままで過ごし、年月が経ってしまったのです。

そうして時を経て、ふたたび手に取り読んだ感想は…

「読んで良かった」のひとことにつきます。

やはりトマス・ハリスさんは良いですね😊

あらすじをざっくり言うと、映画&小説「羊たちの沈黙」での重要人物、レクター博士の幼少期〜青年期の物語です(言うまでもないか…😅)

レクター博士という怪物がいかにして作られたか…


最初は特に細かい部分を気にせず、可愛い妹ミーシャの事で心に深い傷を負うという…、いわゆる「天才が凄惨な経験をして怪物になった」みたいに単純に考えたけど、よくよく考えたらもっと奥深い、宇宙の法則みたいな神の導きのような大いなる力が働いたような気にもなりました。

神の子としてのタブーを犯したから?…みたいな。

それはそうと、ハンニバルの幼少期はとても穏やかで美しいものに囲まれた毎日でした。

私がとくに好きな場面は、小さなハンニバルユダヤ人のヤコフ先生と議論を交わすところです。

ヤコフ先生は知識人でありながら奢ったところはなく、どんな人間とも親しくできる人格者で、私はとても好感を持ちました。

ハンニバル少年に「記憶の宮殿」を教えてくれるのです。

そんなこともあり、私はハンニバル少年とヤコフ先生の議論する場面を、とても美しく微笑ましいものに感じました。

ああでも大人になったら可愛いハンニバル少年も怪物「レクター博士」になっちゃうのね🥲
…と、思うから、よりそう感じるのかも…。


それから、物語の重要人物でもある、伯父の妻で日本人女性の、紫夫人について。

日本人の私から見ると、「紫」という名前や甲冑、折り鶴などの日本文化の描写は、「う〜ん…」と、思わなくもないですが、作者の日本文化に対する情熱と理解の深さは本物だと感じられるので、細かい事はもういいやと思いました。

ところでこの「ハンニバル ライジング」は映画化されています。

映像は美しく俳優さんもイイ✨

紫夫人役の俳優さんはガッツリ中国人女性な感じですが、とても美しい方だし、ハリウッドならこれでいいのかもとも思いました。

でもストーリーに関してはちょっと物足りないかな…

映画のみをご覧になった方は、是非、原作も読んで、その違いを味わってもらいたいなと思いました。

「貧困の光景」 曽野綾子

作者である曽野綾子先生は、過去に日本財団やJOMASという組織に所属しており、途上国の貧困層を支援する活動をされていました。

この本は、その活動を通じて訪れた、アフリカやブラジルの貧困層の事が書かれていて、私の想像すらしなかった思想や環境が存在することに、ただただ驚くばかりでした。


その日食べるものがない、子供に父親がいない、家の屋根が半分しかない、服を洗濯するための石鹸がない……

日本でもこのような貧困に陥っている人はいるかもしれません。

違いは、貧困が村全体に及んでいるところと、福祉がほとんど機能していないところだと思います。


エイズを発症して亡くなる人や餓死する人も多く、横領、窃盗は当たり前。

寄付をしたところで本当に困っている人には絶対に届きません。

政府に寄付をしても、困窮者にたどり着くまでの過程でどこかに消えてしまうのだそうです。

そんな事が、このグローバルな現代で見過ごされるはずがない、などと私なんかは思います。

そこで、これがいつ頃の話か言うと…、

いくつかの記事の最後に記された日付と、曽野綾子さんが支援活動をされていた時期を考え合わせると、1990年くらいから、2005年くらいの出来事がほとんどかなと思われます。

私なんかは、「つい最近じゃん!」って、思うけど、

考え方は人それぞれなので、「なんだ昔の話じゃない」と、思う方も多いかもしれません。

それよりも、貧困が現在は改善されているのかが大切なのだと思いますが…

どうでしょう……?


そのほかに、貧困とは少し関係ないところで個人的に印象的だった記述もありました。

例えば、聖書には、

「…下着をとろうとするものには上着をもとらせなさい」

という記述があります。

これ、私にはずっと、うっすらとした疑問だったんです。

普通逆でしょと。

脱ぐ時は上着からで、後から下着なのだから…と。

実は、これは脱ぐ順番とかの問題ではなく金銭的な価値の問題で、

当時の庶民は貧しくても下着のかえはあり、上着の方が高価だから、高価なものでも惜しまずに泥棒に与えなさいという意味らしいのです。

思わぬところでうっすら疑問に思っていた事が解消できて良かった😊

あとは、日本の農家から米や農作物がごっそり盗まれるのは、貧しい国から輸入された窃盗だと思う…だとか…

いろいろなところから怒られないかな…と、心配になる記述もありました。

一方で、支援団体として多額のお金を寄付したあとも、監査のために度々アフリカを訪れていたという事に、先生の誠実なお人柄を感じたり…、

まあ、そんなこんなでいろいろなことを思いました。

けど、強く思った事と言えば、

貧困は本当に良くない。
どんな人も貧困に陥ったら心が荒んでしまうものだ。

と、いうことです。

そして、貧困には教育で対抗するのが堅実な道なのかなとも思うけど、貧困が理由で教育が受けられないという現実もあり、「鶏が先か卵が先か」みたいな問題になってる〜💦
と、困ったり…

けどその結果、やはり教育はとても大事で、読み書きができるだけでもその人の人生は大きく変わるのだと思いました。

なので、どんだけ貧しくても教育だけは受けるべき!

というのが、1番最後に残った強い思いということになりました。

「復讐のトレイル」 C.Jボックス

「復讐のトレイル」は、猟区管理官ジョー・ピケットシリーズの中で私が1番好きな作品です。

この作品でジョーは、「ハンター連続殺人事件」の捜査にあたります。

捜査はなかなか進まず、犯人像については全くの見当違いで、私から見てジョーはかなりダメダメな感じでした。

それに、冒頭からの犯人の長々としたひとりごつや、作中ところどころに見られる犯人の長々としたひとりごつは、

読み手からしたらちょっととっつきづらいかな…とも思いました。


そう思うのに、何故私はこの作品が好きなのか?

それは、犯人がカッコ良いからです。

私も見習いたいという意味で。

いやいや、もちろん殺人は駄目なんですけどね💦

見習いたいのはそこではなく、自分の決めた目標を、ストイックに慎重に実行するところです。

ひとりごつの部分は確かに一見とっつきづらいですが、読み込むとためになるし、犯人像を思い描くのに役に立ちます。


好きな理由は他にもあります。

ストーリーに考えさせられるものがあるのです。

この事件の被害者はハンターです。

一般人の被害者と違って、狩猟に関係する事から、動物保護運動のリーダーも事件に関わり、世間の注目を集めます。

動物保護の観点から、ハンターについて否定的な考えを持っている人も多いからです。

“ハンターは普段、野生動物を狩っているんでしょう?

どうして同じ命なのに、動物なら殺しても良くて人間なら駄目なの?

ハンターが殺されるのは、ある意味天罰では?“

…などなど

動物好きならそんなふうに考える人も少なくないでしょう。

狩る者、狩られる者、強者、弱者……

そんなふうに区別されて、強い者に弱い者が殺される…

私も常々、そんな世界は嫌だと思っています。

でも一方で、それが変えることのできない自然の摂理なのかも、とも考えます。

ところで、狩りの正当性に関して我らがジョーは、ここで1つの答えを導き出しているのです。

それは娘との会話の中で語られています。

本当に深い会話です。

その中でジョーは、「肉を与えてくれる命に感謝するハンター」と、いう言い方をしてます。

ジョーは、獲物の大きさを誇るようなタイプのハンターには否定的なのです。

動物を狩る理由の基本は、生きる糧を得るためで、決して自分の強さを誇るためではない…と、いうのが狩りの正当性についての答えなのかなと私は思いました。

まあ、そうかな…
知ってたかな…とも、思えますが……
(´・ω・`)

…と、思いつつ、その答えに至るまでの過程が深く大切なんだよなあ…とも思います。



いまの時代、別に野生動物を狩らなくても食べ物には困りません。

けれども、何かのきっかけでその前提が崩れるとしたら……?

万が一そんな時のために、狩りは生きていくための糧を得るひとつの方法として、大切に受け継がれるべきなのかもしれません。


ジョーピケットシリーズを読んでいると、いつも人としてどう生きるのが正しいのか?…と、言うことを考えさせられます。

きっとジョー自身が愚直なまでに正しく生きようとするからだと思うのですが、そこがこのシリーズの魅力なのだと思います💕😊

「リオノーラの肖像」 ロバート・ゴダード


私はたまに小説を読んだあと、

「もしもあの時アレがアレでなかったら……」

なんて考える事があります。

そして今回も、

「もしもリオノーラさんのお父さんが戦争にいかなかったら、彼女は家族揃った家庭で幸せに暮らし、兄弟も産まれ、貴族の称号も失われずにすんだかもしれない」

なんて考えました。

…いや、それでは小説にならないのですが😅

真面目な話、戦争を扱った文学や映画はたくさんありますが、この作品は戦争の直接的な被害ではなく、間接的な部分を扱った複雑な内容の、不思議な印象の残る作品でした。

物語の構成は、プロローグ、第1部〜第3部、エピローグ、となっていて、第1部〜第3部までは過去の出来事を語る形で物語は進みます。


・プロローグ(現在)
70歳のレオノーラさんが娘を連れてチエブヴァル英国記念碑(※2)を訪れ、自分の半生を語り始める。

・第1部(過去)
(語りはリオノーラ)自分の出生の謎、不幸な生い立ち、祖父の屋敷ミアンゲイトを出て新生活をスタートさせ、父の戦友と名乗る人物の訪問を受ける。

・第2部(過去)
(語りの中心は父の戦友と名乗る人物)戦争の事、ミアンゲイトの屋敷で起こった事、その人間模様、父や母の事。

〜父の戦友と名乗る人物が語った内容をリオノーラさんが娘に語っていると考えるとややこしく、またその語りの中でもさらに語りがあり、語りの中で語られた内容をさらに語るのか…とか…考えてしまい…ちょっとアタマがごちゃごちゃに…(°ω。)💦💦〜

・第3部(過去)
(語りはリオノーラ)語られた内容の中で、いまだ残る謎を今度はリオノーラさん自身が調べ、真実をつきとめる

・エピローグ(現在)
レオノーラさんと娘さんは、チエブヴァル英国記念碑を訪れたのとは別の日に、タイン・コット陸軍墓地(※2)を訪れる。
長い間自分の感じていた事がはっきり分かったリオノーラさんは、幸せになる事を強く決意する。


…という、長い長い感動の物語なのです😭✨(私のこの説明ではちょっと伝わらないかもしれませんが…)。

ちなみにリオノーラさんはお母さんと同じ名前です。

母娘とも、不運に見舞われた人生を送っています。

ですが私は、娘を残して亡くなった母リオノーラさんの方をより可哀想に感じました。

それもあって、娘リオノーラさんは自分が幸せになる事をつよく決意をしたのかな...?なんて事も考えました。

両親をなくして祖父の家で育てられたリオノーラさんですが、祖父とはあまり関わりを持てなく、祖父の後妻は意地悪で、使用人も冷たく、唯一優しくしてくれた執事さんもお屋敷を去る事になったりで、頼れる人のいない寂しい生活を強いられてきました。

けれども、父の戦友と名乗る人物の話を聞いたあと、自分でもなんかいろいろやって謎を解いたり、大事な人に再会したり、忘れていた曾祖父との思い出も蘇ったりして、「自分、もしかしてひとりぼっちではなく、ちゃんと愛されていたのでは…?」なんて思えて、「幸せになる」と、強く決心するに至ったのかなと私は思いました。

登場人物それぞれ面倒くさいところのある人たちばかりで、リオノーラさんのお父さんでさえ「ちょっとそれはどうかな…?」と、思えるような人物でした。

それと、お屋敷の客人であるアメリカ人が、「戦争で勝つのは戦争に参加しない者だ」とか、「僕は実業家だから戦争で儲ける」などといった、軍人さんの心を逆なでするような言動をする無神経な人物で、こんなにアメリカ人ディスって大丈夫か?と、心配になるくらいでしたし、ふっ、と、今起こっている🇷🇺の🇺🇦侵略の事を言っているような錯覚を起こしてしまいました。

作品全体を通して、戦争は多くの犠牲を払う虚しいものであり、やはり起こってはいけない事なんだな、と、つくづく考えさせられました。



※1、チエブヴァル英国記念碑…第一次世界大戦中(1914年~1918年)の「ソンムの戦闘」での行方不明者、七万三千四百十二人の名前が刻まれた碑

※2、タイン・コット陸軍墓地…1917年8月〜1918年11月にイーブル塹壕線突出部で戦死した一万一千九百八人の兵士が葬られている巨大墓地。
記念碑には戦没地不明の行方不明者、三万四千八百八十八人の名前が刻まれている。

この小説では、記念碑の大きさや墓石の多さが強調されているようで、改めて戦争の悲惨さを感じさせられました。

「闇の奥」 ジョゼフ・コンラッド

この作品は、映画「地獄の黙示録」の原案になったもので、人種差別などの人間が持つ心の闇や、狂気を感じさせる内容でした。

冒頭、小型帆船がテムズ河に停っている平和な描写があり、その後、主人公のマーロウさんが乗り合わせた人たちに思い出ばなしを語り始めます。

かつて蒸気船の船長していたマーロウさんは、イギリスが植民地支配をしていたアフリカ大陸のコンゴ河を仕事で航行していました。

途中、各商社の出張所に立ち寄ったり、現地人に襲われたり、ヤバい光景を目撃したりで

私はなんだかディズニーランドのアトラクション「ジャングル・クルーズ」みたいだなあと思いました。

https://youtu.be/ngknbq9gITc

仕事の主な内容はというと、ジャングルの奥地にある出張所の所長クルツさんに会いに行く事です。

クルツさんは、みんなからすごいすごいと言われている人で、病気で亡くなってしまうのですが、最後に、

「The horror!The horror!」

と、言う言葉を残して亡くなります。

そして、これがこの本を読んだ者の間で物議を醸しているのです。

horror…、私の買った本には「地獄」と訳されています。

けれどもロバート・ゴダードさんの「悠久の窓」という小説では「恐ろしいものが」と、訳されてます。

この言葉について、クルツさんは白人の植民地支配に対して「地獄だ!」と言っているとの解釈や、また、ジャングルの奥地にある闇に対して「恐ろしい」といった、など、様々な解釈があります。

この言葉を使った作者の真意はどこにあるのか……?

謎めいているところがよきです✨


ところで、私の考えとしてはどうなのか、稚拙ながら少しだけ語らせていただきたいと思います(*ᴗˬᴗ)

私は考えは、ロバート・ゴダードさんの解釈に近いかもしれません。

「恐ろしいものが」

です。

その「恐ろしいもの」とは、人間の醜い欲望が産んだお化けみたいなものかな……?

だってクルツさん、象牙を扱っているんですよ。

しかも大量に。

ヤバいですって。

クルツさんが亡くなる前、現地の巫女のような女性が、何か、儀式のような動きをしているところをマーロウさんが目撃しているのも気になります。

それとあと、クルツさんが突然、

「蛮人どもは皆殺しにしてしまえ!」

なんて、唐突に報告書に書きなぐってしまった事も、そのお化けに取り憑かれたからかな?なんて考えてしまいます。

それか、お化けでなければクルツさん自身もまた気が狂ってしまったのだと思いました。

私は人種差別うんぬんより、人間が持つ欲望の恐ろしさを、この小説にみたような気がします。

それにしても、クルツさんの死を知った婚約者の嘆きっぷりは強烈だったなあ……

ドン引きしたマーロウさんが思わず嘘を言ってしまう訳だけど、あの嘘、万が一バレたら大変な事になるんじゃないかなあと思うと気が気でないです(-ω-;)